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自衛隊

ソロフライトの思い出

私、Purinの紹介でもある通り、元海上自衛隊航空学生の現在普通のサラリーマンです。 T-5という単発プロペラ機の操縦訓練での、ソロフライトについて、記述していきたいと思います。

1.1回目の検定フライト 不合格「D(デルタ)」

ソロフライト」というのは、いきなり一人飛べるわけではありません。「検定フライト」というものに合格して、この飛行学生は一人で飛んでも大丈夫という許可がなければ、ソロフライトはできないのです。実はこの検定フライトに私は1回目不合格でした。検定フライトでは、自力着陸ができるか試されます。航空用語になってしまいますが、「連続離着陸訓練(タッチ&ゴー)」という飛行訓練があり、航空機が滑走路に着陸したら操縦士はすぐに離陸するというものです。私は、この最初の検定フライトで、いつも通りの操縦ができませんでした。エンジンをスタートするときも、集中できておらず、離陸した際も機体が安定していなかったのを覚えています。つまり、飛んだ瞬間に「これはダメだ。不合格だ」と思っていました。

滑走路に侵入しているとき、何回かは自力で接地することはできたが、5,6回目の侵入で、私は、着陸寸前で機体が「失速」してしまい、それなのに私は何も対処せずに、右隣にいた検定教官に操縦桿を取られ、着陸回避をすることになりました。そして、検定教官から「Dデルタ」と言われました。この「Dデルタ」というのは、地上に下す意味の「Down」、つまり、「不合格」を意味します。その言葉聞いたときは、「納得している自分」や「どうでもいいから地上に下してくれ」など、そう思っていました。。。。

検定フライトが終わった後は、必ず教官との反省会をやります。そこで私は不合格通知の「ピングカード」をもらいました。とてもイヤな気分というか、早く反省会を終わらせて、寝たかった。他の同期たちは、検定フライトで合格を意味する「U(ユニフォーム)」、「Up」空を飛んでよい許可をもらっていました。自分は「Dデルタ」で、孤独を感じていました。そこから、私の頭の中には「退職」という二文字がずっとありました。私の担当教官は、少し落ち込んでいました。自分の「D(デルタ)」のせいで、ここまで自分を指導してくれた担当教官に申し訳なくて、顔を見ることができなかった。そして、合格した同期たちの顔も見れなかった

その日は、よく寝られなかった気がします。とにかく、「退職」の二文字しかなかった気がします。

2.Y教官からの熱い指導

不合格の「D(デルタ)」を受け取った日から、私は担当教官とは別のY教官による特別指導が一週間始まりました。まずは、1対1で話し合い。そこで、私がどのような性格なのか、趣味は何なのか、などの話をしました。翌日から、Y教官から毎日のようにフライトシミュレーターで繰り返しの訓練を受けました。それは何度も何度もです。

「経路」「高度」「ランウェイ(滑走路)の形」「速度」「機体姿勢」「目標」「センターライン」「パス角(進入角度)」「旋回」など、徹底的に指導されました。

飛行訓練でも、「計器を見るなっ!!」「前を見ろっ!!」「水平保てっ!!」と(笑)

着陸をきめたときは、「できんじゃねーーかっ!!」と言われました(笑)

Y教官からは、とにかく前方に見える景色から速度を判断するように、実機訓練やフライトシミュレーターで熱く指導を受けました。今までの自分はずっと「計器」で速度を判断していました。訓練外の時もずっとイメトレでした。

最後の飛行訓練が終わった後、Y教官から「今までの訓練をぶつけてこい!」と。。。そんな激熱の訓練を一週間を受けて、2回目の検定フライトを迎えることになります。

3.2回目の検定フライト(ラストチャレンジ)

2回目の検定フライトは、とてもいい天気だったのを覚えています。また、その日は休日の日曜日でした。2回目の検定フライトで不合格であれば、その時点で罷免となり、飛行学生ではいられなくなります。休日なのに、機体の用意をしてくた整備員さん、飛行場の安全を見守ってくれている航空管制官、教官たち、基地全体で私の検定フライトのために休日出勤してくれていました。そして、私の検定フライトを見守るために、同期たちも来ていました

こんなことしておいて、「D(デルタ)」だったら、ダサい男だな、と思っていました。

飛行の前には、「飛行ブリーフィング」というのを必ずやります。内容は、飛行場周辺の天候や雲の状況、使用滑走路、飛行の注意点などを共有します。その際に、飛行学生はブリーフィングを始める申告します。申告内容では、「自分の名前」を言うのですが、私は緊張のあまり「同期の名前」を言ってしまいました(笑) その時に、周りにいた教官たちが笑いをこらえるのに必死になっていたのを覚えています(笑)

検定教官はというと、教官の中でも一番偉い飛行隊長でした。当時、私は、「この人が俺のことを辞めさせてくれる人」「この辛い地獄から解放してくれる人」「この俺をパイロットには向いていない。辞めて別の道に進めと言ってくれる人」と思っていました。

飛行前の点検が始まり、チェックリストをやり、エンジンスタート。心の中で、「始まるのか….」と。離陸準備もできた。あとは、飛ぶだけ。

離陸をした瞬間、機体はいつもより安定していた。水平も保たれている。一回目の滑走路への侵入。着陸はきまった感触は良かった。「これはイケる」って確信が持てた。それから、私は何度も自力着陸をきめた。飛行中、飛行隊長から「悪くはないからなー!」と。

そして、最後の着陸も自力で決めて、飛行隊長の口から「U(ユニフォーム)合格だ!!」と。今までに感じたことないくらい達成感があり、気づいたときには泣いていた。。。。。飛行隊長から「泣いてんじゃねーよ!今からお前はソロフライトするんだぞ!!」と。。。。駐機場に着いたとき、同期たちが手を振ってくれた。こんな最高な光景は一生に1度だけだ。。。(泣)

そして、そのまま私は「ソロフライト」をした。ソロといっても右隣には、副操縦士として同期が乗る。私が、機長ということだ。飛行場の周辺、基地の外には私の「ソロフライト」を見に私服姿の同期たちがいました(笑)  「こいつら(笑)日曜日なのに基地周辺で遊びやがって(笑)」と操縦しているとき思いました(笑)

人生で一生忘れない一日を過ごしました

検定フライトで応援に来てくれた同期、ありがとう

日曜日なのに、私の検定フライトのために基地に出勤してくれた整備員の皆さん、航空管制官の皆さん、教官の皆さん、本当にありがとうございました。

航空機1機が空を飛ぶのにこんなに多くの人達によって支えられているのを実感しました。

空を飛べて良かった。私をここまで指導してくれた担当教官、Y教官ありがとうございました。みんな本当にありがとう。

4.PS(追記)

検定フライト合格の2日後の朝、私は隊長へ

ご相談が参りました。いろいろ考えましたが、退職します。

と、一言告げ、その1か月後、海上自衛隊を退職しました。。。。。

 

今回は、これで以上です!!また、自衛隊関連を投稿していきたいと思います!